則定の渡船場

足助地区の則定にある巴川をわたる渡船場跡です。
穂積橋の上流側すぐの所にあります。
(目印はバス停)

自然の岩に船をつなぐためなのか、もしくは
船の航路を安定させるためのワイヤーを張るためなのか、
鉄の輪が打ち込まれています。
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明治30年に初代の穂積橋が架かるまで、
渡し舟が対岸への交通手段でした。

対岸もきっとこんな感じなものがあるでしょう。
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2代目?の穂積橋の親柱が、現在の橋のたもとに残されています。
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気合の入ったデザインです。
これを残した人も偉いと思います。

さて、渡船場のそばというか降り口にあるお堂に祀られているお薬師さん。
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向って左側は薬師如来ですが、右側は文字が判読できませんでした。

お堂の外にある「金精大明神」
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いわゆる石棒・陽根です。
縄文時代からの伝統ですね。

やはり交通の要所というか渡し場は、
祈りの場ともなるのでしょう。

この記事へのコメント

Key(Takaki)
2009年08月03日 20:23
はじめまして!
ときどき拝見させていただいておりますが、うちのすぐ近くの話題でしたので、思わずコメントさせていただきました。

>2代目?の穂積橋の親柱が、現在の橋のたもとに残されています。

これは、先代のものなので、3代目(昭和6年架設)のものになると思います。

今後ともよろしくお願いします。
MOJO
2009年08月05日 00:02
Key(Takaki)様
ご教示ありがとうございます。
なるほど、3代目の親柱だったのですね。
竣工年も教えていただき、勉強になりました。
こちらこそ
今後ともよろしくお願いします。

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    Excerpt: 今日は、うちの近くにある、舟渡のお薬師さんのお祭りがありました。        Weblog: 思いつくまま-足助から- racked: 2009-11-08 21:51